このページを御覧頂いているということは、あなたは今まさにどん底、もしくは過去にどん底を経験した方かもしれませんね。
私がこのサイトを立ち上げようと思った理由は、 実際に私がどん底の状態からどのように這い上がってきたのか?同じ状況の方に少しでも希望を感じていただけたらと思いお話ししています。
私はもともと会社勤めのサラリーマンでした…ですが、毎日の過酷な労働条件にくわえ、やりがいの感じられない毎日の生活に嫌気をさして、なにか自分でビジネスを始めたいと漠然と考える毎日…
そんな時に、たまたまタイミング良く友人の誘いで治療院の先生にお会いする機会に恵まれ、治療家という生き方に魅力を感じるようになりました。
仕事を続けながら勉強を行ない、仕事としてやっていけると自身を持ったころに、いままでの仕事をやめて資格を取りました。
幸いにも親から自宅の一室が空いているから、まずはそこから始めたら良いと言われていた事もあり、そこから治療家としてのスタートを切ることにしたのです。
ですが、この選択が後々取り返しの付かない問題へと発展していくことになろうとは、まだ知るよしもありませんでした。
ここまでお話しする中で、あなたは治療院がうまく行かなくてどん底にでも落ちたのだろうと思っている方もいるかもしれませんが、そんなにわかりやすい展開ではないのです…
なんと、定年を迎えていた親が、勤めていた会社つながりで事業を立ち上げていたらしく、それが見事に大コケし、こともあろうに大きな借金を抱えてしまうことに…
私の治療院はそれほど大儲けしていたわけではありませんが、普通に食べていくには問題のない状態でした。ですが、上記の事があってからすべての歯車が狂いだしていくことになります。
父親の立ち上げた事業の失敗
小さいながらも事業を立ち上げ、様々なセミナー等にも参加して勉強する中、常に最悪の状況を想定して、失敗しても立ち直れる小さな失敗を繰り返しながら改善を行い、少しづつ大きな成功に繋げていくことを念頭に治療院経営を行なってきました。
そのため、コツコツ治療院を運営し、治療院を新しく改装、結婚・子供も産まれて、これからという時にどん底に叩き落とされることになろうとは…始めの頃は全く気づいていませんでした。
『父親の事業が何だか上手く言っていない』というような話は、母から耳にしていたものの、別に大騒ぎしている様子もないので、立て直すのだろうと安易に考えていましたが、実はもうすでに立ち直れないほどの借金を抱えていることを私自身全く知らずにいたのでした。
新装開店した治療院…その後抵当に入っていることを知る
抵当(借金した時に、お金が返せなくなったら貸した側が自由に処分をして良いと約束してお金を借りること。担保、かたとも言う)に入っていることも知らなかった私は、治療院の改装にせっせとお金を使っていたのです。
まさに寝耳に水とはこのことで、母から打ち明けられた時には空いた口が塞がらない状況でした。
もうその時点で体が震えるほどの怒りを感じていましたが、もうすでに、その時にはどうすることもできない状況で、今後の治療院・嫁・子供のことを考えても絶望的。
立ち直れない失敗はしないようにといつも自分に言い聞かせていましたが、父親の行動までは全くの想定外の出来事で、もうどうすることもできない状況に…
嫁と子供が忽然と姿を消す…
人に使われる仕事ではなく、苦労してでも自分の力で稼いで生きて行こうと思い、何年もコツコツと苦労を重ね、やっと手にれたと思った幸せが音を立てて崩れていく。
どうすることもできない状況に打ちひしがれながら自暴自棄に…なんら解決策が見つからない中、嫁との関係も悪化していき、ある日、置き手紙を残して忽然と嫁と子供は姿を消したのでした。
その後まもなく治療院のあった家は売却されすべてを失うことに
住む場所、仕事、嫁と子供をほぼ同時期に失うことになり、これから私の暗黒時代の幕開けとなります。
今考えても、もう二度と絶対に戻りたくない、最悪な生活はこれから始まろうとしていました。
どん底~暗黒時代の幕開け
その当時は治療院を立てなおそうと本気で思っていたのですが、今思うと失ってしまった治療院の改装費用などの借金を抱えている状態で、資金もないのに立て直せるわけがなかった…
冷静に考えるとすぐにでも分かりそうなことでも、当時はカラダが震えるほどの怒りと絶望に打ちひしがれていた中、正常な判断ができない状態だったように思います。
でも、この先どうするにしても、誰にも邪魔されずに考える時間が欲しかった…
施術の合間に治療院を立て直すために、もう一度資金を作るためにサラリーマンに戻ることも考えつつ、インターネットの情報をあちこち調べながら打開策を探していました。
実はこの時にアフィリエイト(後に私が本腰を入れることになる)というものがあることに気づいて、その当時、無料ブログでいくつも作っていく中で、数カ月後に以外にあっさり売れたので、これは行ける!と思い、とても魅力を感じていたものの、その当時はアフィリエイトを行う時間が取れないため、まずは仕事探しを優先することに。
まずは現状を立て直すためにサラリーマンに戻る道へ
上手くそのまま治療院の運営をしていけるのが理想でしたが、一度歯車が狂ってしまうと中々上手くは行かないもので、気持ちをリセットするためにも、思い切ってサラリーマンに戻る決意を固めました。
しかし、すぐに仕事が決まるわけもなく、まずは日雇いの仕事をすることに…
お金にまったく余裕がないうえに、自分の生活を立て直すだけのお金が必要だったため、普通のアルバイトでは生活していけないため、経験がなくてもある程度のお金が稼げる肉体労働を選択するしかありませんでした。
日給8,000円の土木作業員として働くことになったのですが、後々日給がほかの日雇いよりも良い理由を思い知らされることになります。
お金を節約するために、弁当は自分で毎日用意することにしたのですが、なれるまでは中々の苦労がありましたが、仕事から帰ってきて、晩ごはんと一緒に弁当の準備をしておくのが一番手早く用意できることもここで学びました。
収入の良い仕事は総じて何か裏がある…
土木作業員といっても、私が経験したお仕事は外構(がいこう)の土木作業員。聞こえの良い言い方をするとエクステリアと呼ぶこともあるのですが、やることはというと、家の周りの塀や庭造り、アスファルト工事といった仕事が主な業務です。
私の仕事内容はというと、小さな会社だったため、とにかく仕事はオールマイティーにこなさなくてはいけませんでした。
自分でダンプを運転して、砂利や土、アスファルトなどを積み込み、現場へ向かい、積んでいったそれらを自分で降ろして、自分で庭や家の周りに敷き詰めるといった繰り返しです。
ユンボとか言われるパワーショベルなんかが使える場所ならとても楽なのですが、日本の住宅は隣の家と近いので、重機が入れないのが一般的なので、必然的に手降ろし、ネコと呼ばれる一輪車に積んで人力作業で運ぶわけです。
これがとんでもなくキツイ作業で、だから日給が良いんだということに気づくまで、そう長くはかかりませんでした(汗)
この仕事をしばらく続けていこうと思っていたのですが、ここで大問題が発生…
小さな外構土木の会社なので、金払いが悪く、たまに支払いが遅いことが度々続くことから、余裕がなかった私にとっては不安が絶えなかったため、やむなく他の仕事を探すことに。
その後、日雇いの仕事やインターネット上でとても有名なブラック企業でも、わかっていながらもお金のために就職したりもしていました。
何とか時間を作り、アフィリエイトの作業を行う時間を作りたかったのですが、お金の良い職場を優先していたため、当然キツイのが当たり前…残業やノルマ、修行的な名目で、業務時間外に積極的に仕事をしなければ使えない人間扱い…
更には、間違った作業を教えられ、こちらも嫌がらせをされているのは気づいてはいるものの、これ以上の関係悪化は良いことが無いと思ったため、何も言わずにそのままスルーして、数少ない嫌がらせを行わない人に、もう一度作業内容を聞いたりしていました。
大きな声では言えないものの、私は経営者に戻るために頑張って働いていたため、業務時間中は全力で頑張るが、それ以外の時間はとっとと帰って起業に向けての準備をすることしか考えていませんでした。
残業を合わせると、毎日15時間位の労働時間でサラリーマンの給料とアフィリエイトの報酬で、ある程度の余裕が出てきた頃にブラック企業とネットで噂されていない職場をさがし、副業がやりやすい(残業の少ない)転職先を探す決意をします。
やっと普通の人レベルの生活へ
そこで見つけた仕事が、寮完備の期間従業員。
自動車関連の会社などに良くあるスタイルで、3年間の期限付きで社員と同じような待遇で雇ってもらえるシステムです。
今までの仕事に比べて格段に扱いが良く、仕事はいわゆる3K労働「きつい」「汚い」「危険」と呼ばれる典型的なお仕事内容ですが、今までの仕事と比べると格段に楽だったので、働き始めは天国のように感じました。
ですが、仕事はいつも全力で行ない、残業は行わずにとっとと帰ることは会社にとっても、自分にとっても良いこと『善』だと考えていた私を『悪』と捉える人が大勢いる現実に悩まされることになります。
これがどういうことかというと、毎日全力で作業を行うと、他の人が定時、もしくは残業するくらいのボリュームの作業を2時か3時くらいには終わってしまうのです。
これがどういうことを意味するのかというと、多くの人はソコソコ楽な作業で定時、もしくは残業代も稼ぎたいわけですが、私がやる気満々で、定時に帰る気も満々だと、他の人がサボっているもしくは全体のスピードが遅いと判断されるからでしょう。
某有名ブラック企業に勤めていたときにもその傾向はありましたが、日本企業の働き方に闇を感じました…
松下幸之助氏の「出る杭は打たれるが出すぎた杭は打たれない」という名言がありますが、まさに『出る杭は打たれる』とはこのことで、打たれなくなるためには、飛んで行くほどに飛び抜けなくてはいけないということですね。
結局は、楽をしたけりゃ周りの流れに合わせて上手く立ち回れということはわかってはいましたが、やると決めたら全力でと考えていたことから、どうしても合わせる気持ちにはなれませんでした。
どん底に落ちたために、このような様々な嫌がらせを受けたわけですが、貴重な経験ができたことも確かです。
日本人は右へ習え(みんな同じく真似をしろ)が根強い国で、日本にいる以上はそれに従わなくてはいけないことも重々感じていたことですが、こういった考え方が、鬱(うつ)や自殺者を増加させていることに気づいている人はどれだけいるでしょうか?
これだけ恵まれた国であるにも関わらず、先進国の中でも飛び抜けて高い自殺率をもっと問題視すべきだと感じています。
人にはそれぞれ考え方や行動に違いが合って当然です。
個人差を認める世の中でも全く問題は起きないと思うのですが…
3年という期間従業員の契約期間を終了して…
大きな借金を抱えつつどん底に落ちて、這い上がってくるのに8年間もの時間がかかりましたが、その中で様々なことを学ぶ機会にも恵まれました。
どん底に落ちて、つらい経験を繰り返すほどに、人の心の痛みをとても敏感に感じ取れるようになりました。
その反面、自分本位で相手の気持を汲み取ることのできない人があまりにも多いことに気づくことになり、失望することも…
人はそれぞれ個人で違っていて当然であり、それをお互いが尊重しあうことがとても大切なことだと感じています。
自分らしく、そして自由に生きたい
『自分らしく生きる』
私は何よりも自由であることを最優先に考えて生活しています。なぜかというと、時間はすべての人に平等で、自由(時間)はお金をいくら積んでも買えない、かけがえのない貴重な時間を自分の好きなように使いたいからです。
その貴重な時間を『面倒な人間関係』『仕事に拘束される日々』『休日は疲れきって休息に使う毎日』などで、ムダに過ごしたくないからです。
そんな時、自由を手に入れ借金返済の大きな助けになってくれたのがアフィリエイトでした。
私はその夢をさらにふくらませるためアフィリエイトに奮闘しています。
今まさにどん底で、這い上がりたいけれどどうして良いのかわからない…そんな方に少しでもお役に立てたらと思っています。